臨床研究者育成プログラムに寄せて
東京大学前医学部長(2010年度)
清水孝雄
基礎医学者が絶滅するという警告を出したのは2008年の事で、東大では同年「MD研究者育成プログラム」をスタートさせ、主として基礎医学の研究者と教育者の育成を目指して活動している。2010年からは山本副研究科長のイニシアティブで「臨床研究者育成プログラム」が新たに開始されている。基礎研究が主として生命科学への好奇心からスタートするinterest-driven researchであるのに対して、臨床研究はdisease-oriented researchあるいはpatient-oriented researchと考えられる。もとより、両者に厳密な境界があるわけではなく、また、臨床研究といっても、病気の仕組みに関する基礎的研究から臨床疫学、また実際の診断法や治療法を開発する応用研究(創薬、医療機器・材料の開発等)までそのスペクトルは広い。
このプログラムは医学生だけではなく、卒業後の初期臨床研修医、あるいは専門診療科を決めてからの後期研修医も対象となっている。毎週開催される昼食付きのレクチャーシリーズや、10以上あるコンソーシアムプログラムを適宜選ぶことが可能となっているので、多彩な角度から研究の視点が養われることが期待される。東大病院を研修先に選んだ方は、このプログラムを有効に使って、臨床における研究の幅広さと奥深さを学ぶことにおおいに役立てて欲しい。
臨床研究を進める上で何が大切だろうか。一つは、Goldsteinが80年代に述べたような、若いうちの適切なトレーニングである。Goldsteinは良き研究者(ノーベル医学生理学賞受賞者)であると同時に良き教育者である。「優秀で勤勉で、かつ臨床経験を持ち、十分動機づけられたにも関わらず、どう研究して良いかをわからない症状が米国に蔓延していること」を憂い、PAIDS (paralyzed academic investigators’ syndrome)という新しい「疾患概念」を提唱した(Goldstein, J. J. Clin. Invest. 78, 848-854, 1986)。その原因は英語4単語(lack of appropriate training)に集約されるというのである。学生時代にフリークォーターやクリニカルクラークシップを利用して、出来るだけ基礎研究に触れ、様々な方法、原理を学び、また、論理的な考え方や発信するスキルを身につけるべきである。
Goldsteinの論文では触れられていないが、臨床研究を発展させるもう一つの重要なポイントは、患者への思いと献身的な臨床活動だと思う。一人一人の患者に真剣に向かいあい、その痛みや苦しみを想像し、本人や家族の心を理解し、患者にとって最善の医療はどうあるべきかをしっかりと考えることである。患者への深い愛情と冷静な観察力を持った医師のみが「新たな医療」の入り口を発見することができ、そこから確実な手法に支えられた臨床研究がスタートする。
とはいえ、臨床現場の激務は、臨床と研究を両立させることを難しくしている。臨床で動機づけを受けたら、大学院に進むか、海外の研究室で、是非思い切って基礎的研究に没頭すると良い。幸い、東大には優れた基礎医学者や臨床研究者が揃っている。また、工学、薬学、文系の諸科学などと連携した学際的・横断的研究も進んでいる。医学生や臨床研修期間のうちにこうした最先端の研究に触れ、10年後に多くの臨床研究医が誕生することを期待している。その中から、臨床経験を積んだ基礎医学研究者が出れば、それはさらに嬉しいことである。